悩みや悲しみがあるときには

2020.01.08 Wednesday

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    2020年も始まってしまいました・・・

     

    一番最初のテーマは悩みと悲しみについてです。

     

    悩みがない人なんてこの世にいないですよね。

    何かを失ってそのことで悲しんだり傷ついたりしたことがない人もいないと思います。

     

    例えば仕事で悩んでいるとしたら・・・

     

    「仕事ができているから悩むんだ」と思うことにしています。

     

    古代ペルシャの

     

    「足のない人を見るまで、私は靴がないことを嘆いていました」

     

    という、ことわざをある時知り、それから時々このことわざを思い出すのです。

     

    仕事自体がなくて無職だったら、そういう悩みではなくお金のことだったり、将来への不安だったり別の悩みが生じるわけで、仕事をしていなかったら今の悩みはないわけです。無職のときよりは一段上の悩みだと思いませんか?

     

    そうすると、なんだか悩めていること自体が幸せなことなように思えて、少し楽になります。

     

     

    もしくは子供のことなどで悩んでいたら「子供がいるから悩めているんだな」って思ってみてください。

     

    私なんて子供がいませんから、子供のことで悩もうにも悩めません・・・

     

    つい最近、「子供がいない人にはわからない」とある人に言われてショックでした。

    もちろん子供がいる親の気持ちはわからないけれど、子供側の気持ちはわかるのでそういう子供サイドの意見を述べたのですが、私の意見はまったく聞く価値がないという風に思っているんだと感じて心のシャッターを下ろしてしまいました。

     

    私はたとえ同じ境遇であっても共感できるところとそうではないところがあると思うので、環境が違う相手から何か意見を言われたとしてもそういう考え方があると思って受け止めるだけで否定しなくていいと思っています。つい否定したくなっちゃいますけれど・・・

     

    私だって子供がいたらそう思っていたかもしれません。

    結婚して子供がいるのが当たり前の大人だと信じこまされていた時にはそうじゃない人は欠陥のある人だと思っていたし、そういう人に意見を言われたら「あんたに言われたくない」ときっと思っていたと思います。

    振り返ってみると私の言い方も悪かったんだろうなって思いますしね。

    ま、お酒の席でしたし・・・(;^_^A

     

    話がそれましたが・・・だから子供がいない人には悩めない悩みだと思えば少し受け止め方も変わりませんか?

     

    何かを失って悲しいときも同じです。

    失恋したとしたら、恋愛することができたから悲しいんだと思えば少し前向きになれるだろうし、誰か愛する人やペットが亡くなったとしても、出会えたこと、一緒に過ごした時間があったから悲しいのだと思えば、前を向く勇気が出てくると思うのです。

     

    そして最終的に私は「自分が成長するために必要だから起きたのだ」とも思うようにしています。

     

    そう思っただけで問題が解消したことが何回もあります。

     

    考えを変えるだけではなく、何か行動に起こさなければいけないときには同じ状況が何度も起きてそのことに気づかせてくれます。

     

    誰かのせいにしたり、何かのせいにして何も行動を起こさないことは楽だけれど、それでは成長できません。

     

    この世に生まれてきた人はみな、なんらかの課題を自分で選んで生まれてきたという考えがありますよね。

     

    私はスピリチュアルな考えを100%信じてはいないけれど、そう考えたほうが楽に生きられるからこの点においては否定する気持ちにはなれません。(ただ、お布施を沢山すれば幸せになれるとか、何か物を買ったり売ったりすることで幸せになれるという場合には全面的に否定しますけれど)

     

    例えば生まれつき何かの障害を持っている人や貧乏に生まれた人や家族に問題がある人など、不公平だと思うことについては、自分が選んだ課題だと思えばそれを受け入れてそしてどう生きていくべきなのか考えることができるという点においては、いい考え方だと思っています。

     

    だから、自分と比べて人を羨んだこともありますし、時々そう思ってしまうことも否定しませんが、自分の人生について不満があれば自分で改善すればいいだけのことですから、羨んでしまった時にはどうすれば自分が自分を誇れる自分になれるのか考えるいい機会だと思っています。

     

     

    長くなりましたが・・・

     

    まとめますと

     

    何か悩みごとがある時や悲しい時にはまずはその置かれた状況に感謝してみる。

    悩めるって実はとても贅沢なことなのかもしれないと思ってみる。

    それでも気持ちが切り替えられないときは自分が自分に与えた課題について考えてみる。

     

    それでも解決できそうにないときには環境を変えてみる必要があるのかもしれません。

     

    離婚かもしれないし、転職かもしれないし、引っ越しかもしれません。

    日本以外のどこか海外に移住するべきなのかもしれません。

     

    最後に大切なことは悩みが自分の悩みなのかどうかということ。

     

    人の悩みを自分のことのようにとらえて悩んでいるということが結構あります。

     

    なんとかしてあげたい・・・それって本当にやさしさなのでしょうか?

    その人自身が経験するチャンスをつぶしてしまうことだってあると思います。

    なんとしかしてあげたいのは自己承認欲求からくるものかもしれません。

     

    どうするべきなのかは、本人が決めるしかありません。

    人の課題を代わってこなすことはできないんです。

    たとえ代わって一度はクリアしたとしても、本人がクリアしない限り何度も起きるのです。

     

    今の悩みは自分の悩みですか?

     

    それをしっかり考えたうえで自分の問題ならば考える必要があるけれど、他人の課題のときはその人が失敗したことで自分の価値が下がることを恐れていないかな?とか、自分が楽したいから相手にうまくいってほしいと思っていないかな?とか、その人の問題を自分のことのように一緒に悩んであげてる自分が好きなだけかもしれないのです。

     

    冷たい人だと思われるかもしれないけれど・・・私は人の問題は基本的に「好きにやってみればいい」と思っています。

     

    失敗したとしても、それはその人の成長に必要なのかもしれませんから。

     

    ふと気づきましたが、人が失敗したとき、嫌いな人の場合はザマーミロと思ってしまいますが、好きな人だと「かわいそう」だと思ってしまいますよね?

     

    でも、好きな人が失敗したときには「かわいそう」と思うのではなく、「いい経験したね」と寄り添ってあげることが必要だったんだと思うのです。失敗イコール汚点だという考えがあるから、苦手な人嫌いな人が失敗することを喜んだり自分が失敗しないように失敗しないように気を張ってしまいますが、そうではなく、失敗を経験だと考えられるようになれば、失敗を恐れずにどんどん動いて成長できるし、失敗した人を許せるし、認められるようになると思います。

     

     

    100歳まで生きられるとしたらあと50年もあります。

    これからの人生をどう生きるべきなのか、最近よく考えるようになりました・・・

    失敗を喜べる、いくつになっても成長できる年の取り方をしたいなって思います。

     

    2020年はどんな成長ができるのか楽しみです。

     

    ※舌をしまい忘れているアッシュ

    もうすぐ50代に突入

    2019.10.22 Tuesday

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      冬の気配が近づく頃になると、私もまた一つ年を重ねます。

       

      若いころは自分が50代を迎えるなんて想像できなかったけれど、生きていればドンドン年はとっていくものですよね〜

      私ももうすぐ50歳になるのです。

      年を重ねることが嬉しくなくなるようになりますが、それも生きていればこそ感じられること。

       

      江戸時代ならもうすぐ死んでたかもしれないんだなって思うのです(笑)

       

      50を前に健康が取柄だった私の身体も病気やら色々と問題がおき、老化の影響を感じておりましたが・・・

       

      この間読んだ本に

       

      「40歳以降は努力したことがテキメンに身体に出る」と書いてあってなんか勇気をもらいました。

       

      確かに若いころ細くてスタイルが良かった友達が久しぶりに会ったら太っていたり、シミやシワが増えていたり、すごく猫背になっていて、あれ?って思ったことがありました。

      昔は私のほうが「いいな〜。羨ましい〜」と思っていた友達に反対に「羨ましい」と言われたことがあって、ああ、ヨガ続けていて良かったと嬉しく思ったものです。

       

      一日のちょっとした時間でも毎日続けていると絶対に年々差がついてくるはずだと思います。

       

      なんでもいいですが、続けられることがあるって自信につながると思うのです。

       

      私は35歳になるちょっと前にヨガに出会いましたが本当に良かったとつくづく思います。

      ヨガは美しくなるためや健康になるためだけじゃなく、私たちに色々な恩恵を与えてくれるものなのです。

       

      私が病気や老化をこうやって受け容れられるのもヨガをしていたからだと思うし、色んな嫌なことがあっても、それを教訓に前を見て進めるのもヨガのおかげだと思っています。

       

      特にヨガを続けていて思うのは前よりも忍耐強くなったこと。

      待つことが苦にならなくなったかもしれません。

       

      更年期真っ只中ですが、素敵な50代を過ごせるように心と身体に良いものを与えていきたいと思います。

       

       

       

       

       

      現状維持で

      2019.08.07 Wednesday

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        昨年ぐらいから、なんか思うように物事が進まず、停滞している感じがしていて、これはなんなんだろうなぁ〜とずっと思っていました。

         

        時々、マナカードを引いてみるけれど、ことごとく今は静観しなさいというような意味のカードばかり引いていた。

         

        そして、この間テレビに細木数子の娘が出ていて六星占術では今年はなんだっけ?と調べてみたら・・・

         

        昨年から大殺界だった!!!

         

        あちゃーーーー

         

        それじゃ、仕方が無いねと変に納得してしまった 笑

         

        今は無理になんとかしようとせず、淡々と黙々と自分のやるべきことをこなす時期。

        結果を求めず、結果が出なくても、ひたすらガマン、忍耐の時なのです。

        なんか試されてるなぁとは思っていたけれど、それは正しい認識だった。

         

        悪いことが起きてもそれは大殺界のせいだと思えばやりすごせるし、あまり落ち込まずに済みそうです。

         

        気分転換も適度にして、疲れないように休むことも忘れずに、そして腐らず投げやりにならず、丁寧にひとつひとつ。

         

        大殺界は3年あるので来年1年もまだ大殺界だけど・・・なんとかやりすごそうと思います ^^

         

        現状維持で十分!

         

         

        御盆休みはこんな風に家でのんびりします♪

         

        脳疲労かも?

        2019.07.10 Wednesday

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          ちょっと前にテレビで「スマホで脳疲労がおきている」という話題がとりあげられていて、ドキっとしました!

           

          有名人の名前が出てこないのはよく有りますが、最近は特に人と話をしていてうまく言葉が出てこないことが多くなっていて、「年齢のせいだよな〜っ」て思っていたので、まさかスマホのせいだとは思ってませんでした(年齢のせいも何割かあるでしょうけれど・・・)

           

          目的がないのにただスマホを見ていると、情報が沢山脳の中に溜まり、その情報が処理されずに脳の中はゴミ屋敷状態になっているんだそう。

           

          テレビを見ながらのスマホとかなんてよくするのですが、暇つぶしのスマホが駄目なんだと言われてハッとしてしまいました。

           

          本来、人間は得た情報をぼーっとしているときに処理しているそうなのです。

          それなのに、そのぼーっとする時間がなんか勿体無いと思って多くの人はスマホでゲームをしたりネットを見たりしてしまいますが、それが脳をどんどんゴミ屋敷にしているそうなのです。

           

          最近生徒さんでも眩暈に悩まされている人が本当に多く、もしかするとこれも脳疲労から来るものなのかもなぁって思いました。

           

          スマホじゃなくても、現代人は情報過多になりすぎて、脳の中の処理が追いついてないのかもしれませんよね。

           

          私もスマホからヨガの情報だったり、ダイエットやストレッチやファッション、メイクなどの情報を常に得ていて、更にテレビもいつもBGM代わりに付けていますから、脳にかなりの情報を送っている状態ですよね。

           

          最近の物忘れの酷さは「ながらスマホ」のせいかも・・・と気付かされました。

           

          これは操作する時間が長いとか短いとか関係ないそうです。

           

          目的がなくスマホを見ているのが駄目なんだそうです。

           

          デジタルデトックス、心がけようと思います。

           

           

           

           

          刺激が欲しいだけ?

          2019.03.06 Wednesday

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            昨年、通販で服を買わないと決め、今年もまだそのことを抱負として守ろうとしているのですが・・・

             

            最近、気に入った服が沢山ネットで見つかり、ポチっとしたくてうずうずしていたものの

            なんとかギリギリ感情を抑えてまだ購入するに至っておりませんが

            いまにも破ってしまいそう・・・

             

            ま、別に自分のお金だし、誰にも迷惑かけるわけでもないですし

            欲しいなら買えばいいんですけど 笑

             

            でも、自分で決めたことを簡単にやぶってしまうのは

            なんか自分に負けてしまったみたいで嫌で

            あれだけ失敗したのにまた欲しいと思ってしまうこの気持ちなんだろう?

            どうしたら良いのだろう?と

            色々とネットを徘徊しておりましたところ

             

            ある興味深い記事を見つけて合点がいきました。

             

            それはネズミの実験の記事でした。

             

            ネズミをそれぞれ

             

            A:レバーを押すと毎回必ずエサが出てくる

             

            B:レバーを押すと不定期にエサが出てくる

             

            という箱に入れて、ある程度繰り返した後、どちらもエサを出さなくする。

             

            ・・・と、Aのほうのネズミはすぐに諦めるのだけれど、Bはずっとレバーを押し続けてしまうのだそう。

             

            これって・・・人間が賭け事にハマってしまう行動心理だと思いました!

            たまに出た記憶があるから、次は出るかもしれない・・・と思ってやめられなくなってしまう。

            負けた分を取り戻せると思ってハマってしまう。

             

            私もお恥ずかしいですが、かつてパチンコにはまった時期がありまして。

            それはヨガと出会うずっと前のことですけれど。

             

            諦めて他の台に移ったあとでその台がフィーバーしているのを見て「ああ、もうちょっと粘ってれば・・・」という口惜しい経験をしてしまうと、全然でない台を離れられなくなってしまうし、大フィーバーして大儲けした経験があれば有るほど負けた分を取り返そうとやめられなくなる。

             

            一度快感を得た経験があると、それを期待してしまうのでしょう。

            そして、もっと強い刺激を求めてしまう。

             

            私が何故、失敗してしまう可能性があるのに通販で服を買ってしまうのか・・・

             

            たまに自分が想像したよりも自分に似合っている服に出会えることがあるから、なのだと気付きました。

             

            そして安い服であれば更に御買い得感というか「得した!」という刺激もプラスになり、それを期待してポチっとしてしまうのだと気付きました。

             

            だから、街で試着してまあまあ似合ったぐらいでは買わないのに・・・

            通販では素材もどうなのか、自分に似合うかどうかもわからないのに買ってしまうのです。

             

            博打の要素があるから、通販で買う行為が魅力的に感じるんですね。

            だから商品が届いてしまうと、途端に次の洋服を探し始めてしまう。

             

            刺激を求めているとは知らずに服が必要なのだと思い込み買ってしまっていたんです。

             

            心の奥底では服は試着して似合うものを買うべきだとわかっているし、今ある服のコーディネイトを考えるのだって結構いろんなパターンを作れるはずだとわかっているのに、刺激を求めていただけなのだから、通販で買いたくなってしまっていたんですよね。

             

            でもネットでしか買えない商品というのもあり、それはそれでその服が必要だと思うならば買うこともありかな?と思っています。

             

            買う前に刺激が欲しいだけじゃないのか、ちゃんと自問自答して決めたいと思います。