ストレスについて

2009.08.22 Saturday

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                ↑夫のお腹の上で甘えるサファイアくん(テレビ画面は皆既日食の映像です)


    昨日、レッスン前に「ストレスは適度に解消したほうがいいのか」いう話になりました。

    私はストレスは時々発散するものだ・・・と思っていたのですが、ストレス解消法がない・・・という方もいるんですね〜!

    私は、ストレスで以前、円形脱毛症になってしまったので・・・
    それからはなるべく外に出たりして気分転換を図ることにしているのですが
    何をすると気持ちが切り替えられるか、というものは人によって違いますよね

    ちなみに私の場合

    ヨガのレッスンを受けに行く・・・自分がレッスンするだけだと、時としてマンネリ化し、モチベーションが下がってくるので、レッスンを受けて刺激をもらう

    漫画喫茶で漫画を読む・・・漫画が大好き。高校生まで本気で漫画家になろうと思っていました。

    カラオケで歌を歌う・・・ヒトカラもしたことあります 笑 大声を出して、歌うと本当にスッキリ!
    昔は友達と二人で6時間歌い通したことがあります!!

    ガールズトーク・・・たわいもない話から悩み相談まで。やっぱり女性同士の話は楽しい!特にヨガ仲間だとヨガの思想についても話せるから、自分の知識の確認も出来るし。

    美味しいものを食べる・・・もしかしたら、これが一番多いかも??私は無類のバイキング好きなんです。色んな種類をちょっとずつ、沢山食べたいんで・・・。食欲という煩悩が私には一番大きいかもしれません。

    髪型を変える・・・髪の毛を切ったり、パーマをかけたりするだけでも、気分って変わります。

    という感じでしょうか?

    やっぱり、何事も「我慢」が駄目ですよね。
    そうそう、この我慢というのは仏教用語なんですよ。
    我慢は、辛抱をすること、堪え忍ぶことを指し、よい意味に用いられていますよね。

    実はもともとは、あまりよい意味ではないんですって。自分の中心に我(が)があるとの考えから、我をたのんで自らを高くし、他をあなどることと説明しています。仏教では、そのようなおごりたかぶる心を7つ挙げ、七慢と称していますが、我慢もその1つです。

    1.慢(まん)

    自分よりも劣っている人に対して自分は優れているんだと優越感を抱き
    自分と同等の人に対しては同等であると心を高ぶらせること

    2.過慢(かまん)

    自分と同等の人に対して自分の方が優れていると思い高ぶり
    自分より優れている人に対しては自分と同じであると侮ること

    3.慢過慢(まんかまん)


    他人が優れているのに、自分の方が優れていると自惚れ、相手を見下すこと

    4.我慢(がまん)

    我が我がと自分に執着しておごり高ぶること、てんぐになること

    5.増上慢(ぞうじょうまん)

    悟ってもいないのに、悟ったと思うこと

    6.卑慢(ひまん)

    はるかに優れている人と比べて、自分は少ししか劣っていないと思うこと

    7.邪慢(じゃまん)

    徳がないのに徳があるようにみせること

    ・・・だそうです。うーん、心が痛い 笑

    我慢は、我を張るとか強情という意味で使われるようになり、さらに、まけん気が強い、がんばる、辛抱するなどという意味に変化し、現代のようにいい意味で使われるようになったそうです。

    でも、このもともとの「我が、我がと自分に執着する」ということが我慢の意味だというのは、あながち間違っていないように思います。だからこそ、我慢すればストレスが溜まるんだと思うのです。

    われが、われが・・・という思いが煩悩を生むのですから。

    辛抱したり、堪え忍ぶことは本当は相手側にたって考えていたら、そういうとらえ方にはならないですよね?

    させていただく、勉強させてもらっているという考えでいたら、辛抱したり堪え忍ぶ必要がないじゃないですか。それが、がんばらなくちゃ、辛抱しなくちゃ・・・・と、「我」を主体に考えているから、自分に無理したり、自分の本当の気持ちに嘘をつかなくちゃいけなくなるのです。

    私も昔は頑張ることがいいことだと思っていました。
    最近はその考え自体が悩みを造るんだな・・・となんとなくではありますが、わかってきました。

    頑張るということは「今の自分では満足しない」という自己否定の気持ちが潜んでいると思います。そして、その自己否定は密かに「でも認められたい」という欲も一緒に絡んでいます。今の自分が人から評価を受けないレベルだから、今の自分よりも出来る自分になって、認めてもらいたいという思いがあるわけです。

    そして、自分が想像している状況になれなかった時、人は落胆し、なげやりになったりする訳です。苦悩が生まれてしまう訳なのです。さらにこの記憶がトラウマになって、その後の人生を左右したりもする。上手く行ったとしても、もっと評価されている人と比べて落ち込んだり、今度はその評価を失うことを恐れたりする。どっちにしろ「苦」を生むんです。

    だから、最初から頑張らなきゃいいのです。

    それは無感情に生きろということではありません。全ての物事を必然だと受け止め、その時その時を大切に無心になること。もちろん人から見れば「頑張っている」状態かもしれませんが・・・。

    頑張るという言葉の持つものの背後に「やった分だけ報われる」という計算が見え隠れするのですよね〜

    だから、我慢も「私は私を押し殺して耐えている」という、そんな私可哀想でしょ?とか、きっといつか報われるよね?というものを背後に感じるのです。考えすぎ?? 笑

    人に評価される、されないで物事を判断しないで、もし何か苦手なものをやらなくちゃいけない時も目線を変えて、自分がこれをやる意味ってなんだろう?と考える。なんで嫌いになったんだろう?それは人の影響ではないだろうか?とか、自己分析してみる。自分の中にいる自分との戦いなんです。

    この「われが、われが・・・」という「我」と戦うんです。外の誰かではないんですよね。

    難しいけど、そう考え行動できたらストレスは溜めない気がします。
    ストレスを時々解消しなくちゃいけない私は・・・
    もちろん、まだまだです。

    昔の私

    2009.08.16 Sunday

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      まったりコハク

            ↑ 立派な胸毛がご自慢のコハクちゃん・・・ちょっと怒ってる?


      8日の土曜日、4年ぶりに18年前からの知人達と飲み会があって参加した
      その仲間と出逢った当時、私は22歳!
      仲間うちでは私が一番若かった
      だから、当たり前だけど、今もその仲間うちでは私が一番若いのです
      その私も「今年40歳になる」と言うとみんな驚いていた←皆さんも同じだけ年とっているのにね
      「20代でとおるよ〜」と言われて嬉しかったな!
      (いや、さすがに20代はもう無理だろ・・・と思ったけど 笑)

      4年前の飲み会の時も思ったけれど、22歳の私が今の私を見たら、どう思うだろう?
      その頃、ヨガなんてまったく興味はなかったし
      22歳の私はきっと今の私を「信じられない」と思うだろうなぁ・・・

      あの頃、先のことなんて全然考えてなかった
      1999年にノストラダムスの大予言で世界が滅亡すると思ってたし 笑 
      何故だか、当時恋人もいなかったのに幸せな結婚をすると信じてたし 大笑

      22歳の頃、特に目標を持たずに生きていたと思う
      その時、その時で自分なりに「目標」を持っていたと思っていたが・・・
      今思えば、それは人の影響が多大だった

      例えば、高校から専門学校に進学するときは「男女七人夏物語」が流行ってる時で
      友達が「ツアーコンダクターになろうかな?」と言った言葉に反応して
      なんだか自分もそれを目指したくなって、観光学科を選んだ
      そう言ってた友達はまったく別の道を進んでしまったから、本気で言ったわけではなかったのに、だ

      それから、専門学校時代、やっぱりツアコンになるなら海外に行ける方が格好良い!
      ワーキングホリディをしよう!その前に英語を勉強しなくちゃ・・・と
      友達が英会話スクールに通うということに刺激され、2年契約で教材も含めて100万近いローンを組み
      結局、数ヶ月で通わなくなってしまった私・・・
      友達はその英会話スクールが合わなかったということで、契約解除していたのに、だ

      それに目指していたツアコンも途中で大変な職業だと気付き断念した

      とにかく、すぐに人の影響を受け、寄り道し放題の人生だったように思う

      遡れば、小学生の頃も、周りのみんなが好きだという男の子を好きになったり
      友達がピアノを習い始めたと聞いてはピアノを習い
      習字を始めたと聞いては習字を習い・・・
      そしてどれもこれも中途半端 笑

      ピアノはバイエルンの上下で挫折したし(貧乏なのにビアノまで買わせておきながら!)
      習字は「準初段」だし ←どうせなら「初段」目指せよ!って突っ込みたくなる 笑

      そんな私が社会人になって、数年の時だから
      22歳の頃の幸せの判断基準は
      旦那さんがイケメンだとか、一流企業に勤めているとか、美人でスタイルがいいとか
      そんな外見や地位や名誉が幸せの価値観だった

      どれも自分が手に入れられなかったもの

      今まで自分は運があまり良くなくて、ぱっとしない人生だったけど
      これからは良くなるって期待(妄想)していた

      例えば、宝くじが当たるとか・・・
      白馬に乗った王子様が迎えに来てくれるような、そんな他力本願な願いばかり
      何か突然、人生の良い転機が来るって思っていた
      自分がどうしたいということではなく、人からどう思われるかということが基準だったと思う
      それで何度失敗したことか! 笑

      今の私は・・・

      幸せは自分の外にはないと知っている
      全て自分次第だと知っている
      人にどう思われても、それは一時のことだし、その人の価値観の問題だから
      そんなことに惑わされたり、傷つくことがあっても直ぐに自分を取り戻せるようになった


      そんな過去の自分があって今の自分があるわけで
      人の価値観に惑わされて振り回された過去があるから
      今の自分があるのだと思う
      過去の自分のほうが幸せだったなぁ・・・って思わないのは

      今が充実しているから

      なんですよね、きっと

      よろしくおねがい致します

      2009.08.12 Wednesday

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         これから、こちらのブログにyogaについて、映画だったり、本だったり、猫だったり、世の中の話題についてだったり、色々と気になることをアップしていきたいと思います♪